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肥薩線と知覧特攻記念館
2007/06/08〜10
鹿児島へ飛行機で行き、
肥薩(ひさつ)線
と
永野(ながの)鉄道記念館
、
南薩(なんさつ)鉄道記念館
。
そして
知覧(ちらん)特攻平和会館
に行きました。
能登川
6月8日
5:51発
6月8日、くもり。
711M網干(あぼし)行(221系8両)に乗ります。
金曜日ということもあり、朝早くてもそこそこ混んでいました。
三ノ宮 7:51着/三宮 8:00発
三宮(さんのみや)でポートライナーに乗り換えます。
神戸空港行は新型の2000系6両でした。
神戸空港 8:18着/9:00発
JAL3353便鹿児島空港行に乗ります。
朝の神戸空港は混雑していました。
スカイマークの羽田便の乗客が多いようです。
B767−300ERの機体番号がJA767Aというのは面白いですね。
JAL3353便はJEXのB737−400(JA8991)でした。
鹿児島空港 10:05着
鹿児島空港は茶畑の中にありました。
トヨタレンタカーを借ります。
JALエアプラスのSクラスで、パッソでした。
どこから行こうとは決めていなかったのですが、とりあえず肥薩線の吉松(よしまつ)駅を目指すことにします。
吉松 11:40発
吉松駅は昔の寂れた雰囲気は消え、観光地化していました。
しんぺい2号の発車まで30分ほどだったので乗ることに。
とりあえず人吉(ひとよし)までの往復きっぷを買います。
行きのしんぺい2号は指定席券が満席で取れず、帰りのいさぶろう3号だけを取りました。
1254Dしんぺい2号人吉行は、観光列車に改造されたキハ47 9082(指定席)と普通のキハ140(自由席)でした。
昼時ということもあり、ホーム売店で「たまり」の駅弁を買います。
ほかにも多くの人が買い求めていました。
キハ31単行で運行されていたころは運転士のみのワンマン運転でしたが、2両編成になって女性の客室乗務員が乗るようになっています。
真幸(まさき)駅は「真の幸せ」ということで、入場券(人吉、吉松駅で発売)の人気があります。
また鉄道ファンには通過のできない「Z型スイッチバック」の駅として有名です。
4分の停車時間の間には、ホームにある「幸せの鐘」に人が集まっていました。
鉄道の「三大車窓」のひとつに数えられるポイントで、列車は勾配上で停車しました。
天気は晴れているものの霞んでいたのが残念です。
矢岳駅には人吉市SL展示館があります。
D51 170号機が展示されていますが、58654号は里帰りしないようです。
大畑(おこば)ループにさしかかります。
ループ線途中で停車すると、眼下に大畑駅が見えました。
大畑駅もZ式スイッチバックです。
駅舎内には先日北海道の北浜駅で見たような「名刺」がありました。
人吉 12:53着/13:02発
ここは珍しく駅弁の「立ち売り」が残っています。
折り返しの間にくりめしを買いました。
1255Dいさぶろう3号吉松行に乗って来た道を戻ります。
大畑では先ほど残せなかった「名刺」を残してきました。
矢岳ではみんな降りてSL記念館の見学などに行ったため、その隙に車内を撮影。
真幸では先ほど「幸せの鐘」を撞いていなかったのでここで撞きました。
吉松 14:24着/14:28発
4233D隼人(はやと)行(キハ40単行)に乗り換えます。
栗野(くりの)で特急はやとの風と交換しました。
嘉例川 15:02着/15:19発
駅舎が文化財に指定されている嘉例川(かれいがわ)で降りました。
明治36年生まれの木造駅舎は104歳だそうです。
はやとの風が停車するようになり、それに合わせ駅弁も発売されるようになりました。
鹿児島空港にも近く、車で訪れる人も多いようです。
4234D吉松行(キハ40単行)で吉松に戻りました。
吉松 15:57着
霧島温泉
の温泉街に向かいます。
吉松より嘉例川の方が霧島温泉には近かったのですけど、吉松までレンタカーで行ってしまったので仕方ないですね。
霧島温泉
6月9日
今回の宿は霧島国際ホテル。
霧島温泉郷の丸尾温泉になります。
硫黄泉でした。
9日も晴。
国鉄宮之城(みやのじょう)線
の薩摩永野(さつまながの)駅跡に行きます。
薩摩永野 8:30頃
薩摩永野駅の跡は、
永野鉄道記念館
となっています。
鹿児島本線の川内(せんだい)から広橋(ひろはし)を経由して来た線路は、針持(はりもち)を経由し薩摩大口(さつまおおくち)へと伸びていました。
線路跡は道路跡として残っていますが、結構勾配がついていることが判ります。
今度は桜島を目指します。
国分(こくぶ)まで高速に乗り、国道220号線を走りました。
途中、左手に鉄道構造物らしきものが見えたのですが、
国鉄大隈(おおすみ)線
の跡でした。
日南線の志布志(しぶし)から鹿屋(かのや)を経由し日豊本線の国分まで、100キロ近い距離を走っていましたが1987年に廃線となっています。
あちこちに廃線跡が残っているようでした。
国道224号線に入り、桜島の南側を走ります。
溶岩石がゴロゴロしていたり、火山が噴火したときの退避場所がありました。
桜島港 10:45発
桜島フェリー
に乗ります。
パッソで1040円でした。
短時間ということもあり、航送車両から降りない人も多く居ました。
鹿児島港 11:02着
産業道路、国道226号線、そして県道23号線を走り知覧を目指します。
知覧特攻平和会館 11:55頃着/14:00頃発
知覧といえば
武家屋敷
とならび、陸軍の飛行場があったことで有名です。
ここは加世田(かせだ)の万世飛行場、都城(みやこのじょう)の東、西飛行場と並んで特攻基地となりました。
平和会館の前には映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」で使用された
一式戦闘機「隼」(キ−43)
のセットがあります。
また平和会館の中には
三式戦闘機「飛燕」(キ−61)
と
四式戦闘機「疾風」(キ−84)
も展示されていました。
館内には特攻で戦死された方の遺品や写真などが展示されています。
また、映画の元ネタとなった富屋食堂の
鳥濱トメ
さんのビデオを見ると涙があふれました。
富屋食堂は
ホタル館
として復元されているようです。
今度は加世田を目指します。
南薩鉄道記念館 14:35頃
加世田といえば
南薩鉄道記念館
というイメージしかなかったので、
万世特攻平和祈念館
には立ち寄る時間を取っていませんでした。
またホタル館と合わせて訪れたいですね。
南薩鉄道記念館は、鹿児島交通の加世田駅跡。
加世田バスターミナルにあります。
入場券はバスターミナルの窓口で200円でした。
館内には駅名板などをはじめ、現役時代に使われた品々が展示されています。
南薩鉄道は伊集院(いじゅういん)から枕崎(まくらざき)に向かう路線と加世田から知覧に向かう路線からなっていました。
伊集院からは国鉄の西鹿児島(現在の鹿児島中央)まで直通運転もしていたようです。
駅前にはSLとDLも保存されていました。
本当は指宿を目指していたのですが、時間がなさそうなので西大山(にしおおやま)を目指すことにします。
西大山 15:55頃
沖縄モノレールが開業するまでは、日本最南端の駅として有名でした。
いまでもJR最南端の駅として、また開聞岳(かいもんだけ)がきれいに見える駅として有名です。
列車の到着する時間ではありませんでしたが車で観光客がひっきりなしに訪れていました。
霧島温泉
6月10日
霧島温泉に戻ります。
10日も晴。
宿をチェックアウトしました。
宿から近いようだったので霧島神宮を目指します。
霧島神宮 8:55頃
霧島温泉から近いこともあり、朝早めでも多くの観光客が訪れていました。
お参りを済ませ鹿児島空港を目指します。
鹿児島空港 10:00頃着/11:55発
レンタカーを返し鹿児島空港へ。
天気がよく、展望デッキで飛行機の写真を撮ります。
滑走路が1本しかありませんが、ひっきりなしに発着していました。
鹿児島空港は日本エアコミューターの本拠地で、SAAB340B、DHC−8−Q402も多く見かけます。
オリエンタルエアブリッジのDHC−8−Q201も見かけました。
11番ゲートから、JAC2404便伊丹空港行に乗ります。
ボンバルディアDHC−8−Q402(JA846C)でした。
わざわざ後部の17A席を指定し、フラップなどの動きを見ようと思ったのですが、それよりも高翼ならではのランディングギア格納シーンが珍しいですね。
宮崎から室戸(むろと)岬上空、御坊(ごぼう)を経由し伊丹へ向かうのですが、関空上空を過ぎたあたりから天気が悪くなってきます。
雲の中はよく揺れました。
大阪城付近でギアダウン。
ボンバルディアですが無事に車輪は出たようです。
伊丹空港 13:11着/大阪空港 13:40発
大阪は雨でした。
大阪空港交通リムジンバス、新大阪行に乗ります。
新大阪 14:03着/14:14発
776T快速野洲(やす)行(221系6両)に乗ります。
大津まで来ると晴れ間が見えました。
野洲 15:21着/15:26発
3258M新快速近江塩津(おうみしおつ)行(223系12両)に乗り換えます。
能登川 15:37着
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