旭橋(あさひばし)に降りたときには雨が降っていました。
沖縄バスの定期観光バスに乗るため沖縄バス本社に行きます。
「南部戦跡めぐりと玉泉洞」コースの受付は9時からということだったのでコンビニで時間をつぶしました。
「南部戦跡めぐりと玉泉洞」コースは所要約6時間、料金4800円です。
この日は17人の乗車でした。
まず最初に向かうのは豊見城(とみぐすく)市にある旧海軍司令部壕。
山の中に掘られた海軍の司令部で、全長は450mあるのですが、幅は狭くて4000人もの兵士が中に居たとは信じられませんでした。
沖縄地上戦の際、陸軍は南部に撤退したのですが、海軍の司令官であった太田少将は悲惨な地上戦の戦況を南部にまで広げるべきでないと、撤退することなく立てこもったそうです。
またその状況を海軍本部に伝えるため送信された電報の最後には「県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」という文章でしめられていたそうです。

次に向かうのは糸満(いとまん)市にあるひめゆりの塔。
地上戦が始まった日、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒222名、教師18名が南風原(はえばる)にあった沖縄陸軍病院に配属されたそうです。
この中には疎開していたのに連れ戻された人、あと数日で卒業を控えていた人も多くいたそうです。
そして戦況の悪化に伴い南へ逃げ延びた生徒たちがたどり着いたのが、ひめゆりの塔の前にある地下壕「伊原第三外科壕」でした。
そこにやってきた米軍のガス弾攻撃、またそれを逃れるため出てきたところを撃たれたり、手榴弾で自決したりと136人の学生が亡くなったそうです。
また収容されていた負傷兵90人も命を落としました。
ひめゆりの塔はその人たちを弔うために建てられた石碑で、実は高さ1mほどの小さなものです。
食事時間が含まれるので消化不良気味でしたが、ひめゆりの塔の横にある「ひめゆり平和祈念資料館」へ行き、生き残った方の貴重な体験を聞くことが出来ました。
今回は駆け足だったので、レンタカーなど借りてまたゆっくりと訪れたいですね。

次は同じく糸満市にある沖縄平和祈念堂へ。
ここには世界平和と戦没者の追悼を願って作られた沖縄平和記念像が安置されています。
またこの周辺は多くの人が投身自殺したという崖、最後に陸軍が司令部を構えた壕があり一帯が平和祈念公園となっています。
沖縄県平和祈念資料館と各県ごとに造られた供養塔、そして国籍、軍人、非軍人を問わず沖縄戦で亡くなった人たちの名前を刻んだ平和の礎(いしじ)があります。
このあたりを歩いているとアメリカ人の家族連れに「こんにちは」とあいさつされました。
その時に「国籍を問わない」意味を気づかされた気がします。
ここも広いのでまたゆっくり来たいですね。

戦跡めぐりはこれで終わり、玉城(たまぐすく)村にある「おきなわワールド」へ行きました。
ここには玉泉洞(ぎょくせんどう)という鍾乳洞があります。
さすが沖縄というべきか、鍾乳洞は湿度もあるため蒸し暑いぐらいでした。
地上に出ると熱帯フルーツ園、ハブ博物公園、黒糖工場、琉球ガラス、陶器、紅型(びんがた 沖縄の民族衣装)、藍染、三線(蛇の皮を張った弦楽器)、紙すき、機織りの各工房などがあり、ゆっくり廻ると1日はかかりそうです。
このあとは土産物屋に寄って戻りました。